今年も明けました。

なんだか、いつが去年で一昨年で、が、

非常に曖昧になってきた気がするのですが

とりあえず、新年数日は、これは新年と認識出来るので、なんとか新年になりました。


去年は、何があったっけ。

とりあえず、2人とも小学生になったので

それに慣れるのに必死でした。

私が。


新しい環境に、誰よりもビビる母。

しかしそれを悟られないようにする、母。


蓋を開けたら、本人たちも絶好調で楽しそうだし

元気だったし

上出来でありました。ありがたや。


宿題やらせるのと、忘れ物とか物の紛失に、ひたすら消耗はしましたけれど。


一番消耗したのは、このご時世なので毎日水筒を学校に持参するのですが

うっかり、パッキン付き飲み口を付けるの忘れてランドセル入れちゃって

3時間後くらいにキッチンでその事実に気がついた時ですかね。

各種やっちまったの中でも、かなりトップクラスのやっちまった!!を味わいました。

走って学校届けたんですけどね。

普通、忘れ物は届けちゃダメなはずなんだけど、これは届けないとマズイ!となって。


結果、先生大惨事。

ごめん、先生…。


その他、面談のたびに「ひーっ!」と、心の楳図かずおが発動はしてたんですけど

ですよね、わかっとります、合点承知な演技で乗り切りました。


もう、息子さあ、自由すぎて。


当初、手づかみで給食食べてたとかで。

やべーのきたと思われてたらしい。


…ですよね。


あとはすんごい交番に行きましたね。


すんごい物を拾って届けるから。

一年生って、なんであんなに物を届けたがるのか。

本当に届けなきゃダメなものならば良いんだけども。


壊れたキーホルダーの輪とか

何かについて潰れた鈴とか

一円とか

なんかの蓋とか


やめてー。

その度に、おかあさーん!て誰かしらに呼ばれて

交番に吸い込まれた一年生皆さんの代表として

名前と住所と電話番号とそれいりませんのサイン。


私の個人情報の記録、どうなってんだろ。


姉の方は、すくすくすくすくきて

ついに私が社会人なりたての頃着てた服が

ジャストフィット。


まだ二年生なのに。


え、どうなるの?

この先、どこまでいくの?


でも中身は小2なので

頭自分で洗えないとか

1人で寝れないとか

お子様ランチのおまけに一喜一憂とか

死ぬのことを「しむ」て言ってるの聞くと

自分の頭がバグったのかな?てなります。


お子様ランチのおまけ欲しいけど

食欲は大人超えてきたので

毎回、お子様ランチと私が大盛りとかフルコース頼んで、私の分の半分をかっさらっていく、という状況。

え、まだ二年生なんですけど。


今年の目標は

まずは元気

そして元気

みんな元気で。


もう、誰の病ももらいたくない。

やっっっと、子どもらの病いを貰わなくなってきたので、なんとかこのまま粛々と過ごしたい。


なかなか良いおみくじだったので

何か始めたいなーとは思っておりますが

自由なのが2匹いるので

出来るか否か。


がんばります…。

2人とも幼児じゃなくなる。

ついに、我が子が2人とも脱・幼児に。

小児?小人?児童?

わかんなくなってるけど、新しいジャンルに突入です。


足掛け四年の幼稚園生活。

最初は、皆んなすげーこわいんだ!

噂話だらけで私は貝になるしかないんだ!

と、思い込んでビクビクしてたお母さんたちも

蓋を開けたらすごく良い人たちで

(違うかもしれない人には近づいてない)

最終的に飲み仲間みたいになって

あーこの歳になっても、新しい友達って出来るんだなーと思ったり。


卒園、寂しい!誰が!私が!

となってたんですけど、私だけ残るわけにもいかないので

潔く卒園して参りました。

息子が。


コロナが今年も幅きかせてるとは

思ってもみなかったけど

まあ、簡略化ながらなんとか式も出来て。

幼児の歌を全く聞けない一年になるとは

思ってもみなかったけど

それなりに泣きました。

我が子の成長もあるけど

なんでしょうね、あの涙は。

もう、幼児まみれになれない寂しさ?

キャラの濃い先生たちとのお別れ?

色々走馬灯になるもんですね。


卒アルもガッツリ頼まれてガッツリ作り

思い残すことはありません。

たぶんありません。


いよいよ、永遠の5歳児かと思うほど

長い5歳児生活を送っていた息子氏も

小学校に行くとか。


マジか。

また、新しい環境イチからか。

ひー。


となっているのは、何を隠そう私ですが

子供にはその辺しっかり隠して

早く楽しく通ってくれることを

願うばかり。


上の人より、新しい場面で

面倒くさがり、恥ずかしがり

全然頑張らないタイプの下の人。

もう、色々想像すると死にそうなので

何も考えず行きたいと思います。


そして、遠くない未来に手に入るはずの

自由な時間を楽しみに

粛々と過ごして参りたいと思います。


怪人ひとみしりー親子、ジリジリと頑張ります…。

立ち直る。

ズブズブだったんですが

時が解決してすっかり立ち直りました。


なんつって。


時も解決したけど

風邪が全員治り

本調子になってから

息子が絶好調になって

私もまあ、いっか、になって

とある所の、2次募集に合格して

あー良かった、これで行く所できた、

となったんです。


とてもいいところで。

ありがてえ、ありがてえ。

しかし、少し遠い。

あと、乗り換えがややこしい。

しばらく、2年くらいは朝、乗り換えまでついて行かないと

どっかいっちゃうな、間違いなく。


と、それだけ引っかかっていた。


でも、数人しか通らなかったであろうやつに

よく通ったやないか。

ありがてえなあ、と。

家族全員安堵して。


そこからは、もう、通常運転で。


全て忘れ去った生活をしたおりました。


ひとつ、引っかかっていたのは

今年のよく当たるおみくじに

「最後の最後に良いことある」

ていうやつで。


これが最後の最後の良いことなのかな?

と。

近くのところの補欠回ってくるってのが

良いことなのかね?いやあ、それもなさそうだしなあ。

もう、あんま気にしてないしなあ。

と。


で、12月も入り

色々あって

宝くじ二度と買えない出来事が起こり

まあ、運を使い果たし

ありがたいやつに落ち着きました。


とまあ、フワッと報告だけど

私は元気です。


(息子はずっと元気です)

キツいー

他に愚痴るところもないので

吐き出すだけだけど。


キツイー。


これはどうやったら立て直せるのか。


たらればがすごくて

なかなか難しい。


幼稚園に行くとハレモノだし。


ハレモノにならないように

やってはいるけど。


今後の関係は、微妙に変化するであろうことを思うと

ずしーんとする。


まあ息子は気にもしてないけど。してるのかな。


いや、してないな。


今はしてない。

何年か後に、あれ?て思うとは思うけど。

それを思うと、ずきっとする。


ひたすらキツイー。

やらなきゃ良かったー。

そればかり。


逃げ出したいけど、そうもいかず。


気分転換もままならず。


成長したんだよ、と、わかっていても。


確かにやる前は本当に酷かったし

それが随分としっかりしたし

普通のレベルになったな!とは思うんだけど。


けどしかし。


ズブズブと、地面にめり込む毎日で

なんだかな


と思ってる矢先


布団の上で、お菓子屋さんごっこといって

クッキーやらおせんべいを

せっせと運んでるのが

目に入る。


うん、やめて。


何をやっているんだか…。

実は受験をやっとりました。
下の人の。
やらなくてもいいか、とか、
普通はやらないよな、とか、
その覚悟はあるのか、とか、
数々の自問自答はあったんだけれど
今行ってる幼稚園の男子は
ほとんどやる環境で
自ずと情報は集まってくるし
私立の見学に行くと
環境も整っているし、先生も熱心。

やってみるか、と重い腰をあげました。

かくいう私も、小学校受験経験者。
あまり覚えてないけど
その勉強自体は、ほぼクイズみたいなもので
嫌じゃなかったけど
失敗するわけにいかない、という
圧が凄かったな、という思い出。

結果は、私には合っていたのでしょう。
うまくいきました。

おかげで、良い友人や先生に恵まれ
つどつどの受験ストレスなく
すくすくと大人への階段を登ってしまった。

それが良かったのか、どうなのか。
ずっと考えてきたけど
友達に本当に恵まれてるのと
趣味にどっぷり若い頃に浸れたのは
ありがたかったな、と。

その趣味が、結果、仕事にもつながるわけで。

人間を見る目も鍛えられたしな、と。

そんなことで、息子と二人三脚やるか、となったのですが
息子、早生まれだし、めっちゃ幼い。

正直、お教室を選ぶも何も、
本人が嫌がらずに入ってくれるところ
という選択肢しかなった。

だんだんと慣れて
思いの外、クイズみたいな問題も嫌いじゃないようで
準備は想像してたより
順調にきてました。

周囲の反応も
大丈夫じゃない?
といった感じ。

お受験経験がっつりある、
母や叔母も
「これだけ出来てれば、全然大丈夫よ」
て感じ。

幼稚園のお母さん友達も
おさがりやら問題集やらくれて
頑張ってね!たぶん大丈夫だよ!
て感じ。

コロナでこもっている時も
やるしかないので、粛々とペーパーをこなし
随分、できるようになったなあ
と、近頃は少し関心してました。

ところが
親の面談数日前から
娘がなんと風邪を引き出す。
きっかけは、その前の日から目にできてたものもらい。
おばばが、私が見てないところで
大人用の目薬一本、さしきっちゃって
それで喉を痛め
そこから、おかしくなってしまった。

そして、多分それは溶連菌で
息子にうつすわけにならんので
間に入ってたダンナも
ガッツリもらう。

本命の面談で
ラリるくらい薬飲んで挑んだけど
横で聞いてる私ですら
え?!何言ってんの?!
となるくらいの仕上がりで
あーこれはどうなんだろ、となってる頃から
私も薄く風邪をもらう。
さらに息子も。

もうグダグダ。

で、結局
ダメだったんすよね。

ことごとく。

ここは大丈夫でしょーと勝手に思ってたところも。

で、落ち込むんだけど
これが難しい。

子供に見られるわけにいかないし
体調不良だったダンナを責めるのも酷だし
風邪ひくきっかけ作っちゃったおばばに弱音を吐くと、自分のせい、と、オロオロしちゃう。
幼稚園のお母さんたちは
当然、大丈夫だったのか心配してて
多分大丈夫と思われてて
ダメだったんだよーあはは
なんつってみたものの
固まられる。

気を遣わせちゃうから
余計、いやいや、仕方ないよね
ご縁なかったわーはははー
てやるんだけど
自分に突き刺さるという。

お教室の先生も
絶句しちゃって
大丈夫と思ってたんで、まさかで
とか言われて
あーははは、仕方ないですよね
なんて言いつつ
自分に突き刺さるという。

毎日、参った、と、卵焼き作りながら
涙目です。

でもさ、息子、成長したんだよ。
と、自分に言い聞かせる。

そして、チラリと本人を見ると、
まっったく、気にしてない。

携帯で動画見るー!
て、転がっている。

うむ。

色々、私の算段が誤っていたのであった。

と、また、卵焼きに向き直るのでした。


世間的に、小学校の受験なんて
なんでやるの?!
て、言われるやつなのも
重々承知なので
大きな声でも、弱音を吐けない。

でもさ
高齢出産でさ
子供の勉強にガッツリ向き合えるの
ここまでだなーて、思ったんだよね。

都内にいると、中高一貫校だらけだけど
中学受験は、本当に親子共々無理そうだし
高校受験は、本人次第かもしれないけど、しかし、のびのび過ごしてる姉を尻目に
どうなるのか、と思ったり。

しかし、なるようにしかならんし
あとは、本人がいかに成長していくか
見守るばかり。

一年ちょい
がんばったなーわたしと息子。
最後は明け方まで、願書書いてさー。

いつか何かの役に立つ
て、言われたけど
なんの役に立つんだべか。

はー、子育てって
悲喜交々。

思うところがありすぎる。

いまだに、このブログ形式になってログインの仕方で迷子になる…。

前はダイアリーとかいう機能で

割と簡単にログイン出来たんだけど。

おばちゃんにはむずいよ。。


それはさておき。

もうめちゃくちゃな昨今です。


まさか、今年が始まった頃には

こんなことになるなんて、夢にも思わなかった。

2月中頃までは、なんとかなるかな

と、思いつつ

卒園アルバムを頼まれたことによる作業に

日々追われまくってて

幼稚園生活最後を堪能するのは

まあ、アルバムを入校してからの3月かなーなんて

呑気に思っていたのです。


それが、例の客船から人がどーっと降りたあたりから

私の中の不安がむくむくし始め

やばいやばいと思っていたら

2月いっぱいで、突如、上の人の幼稚園生活終了のお知らせ…。


あまりに衝撃で、もうほんとあまりに。

子供より大人がオロオロしちゃって

カッコ悪かったです。


ただ、幼稚園って

赤ん坊みたいのを毎日毎日、

雨の日も雪の日もあっつい日も

手を引いて連れてって

お迎え行って、泣きながら出てきてビビったり

ご機嫌で出てきて安堵したりと

もはや親が試されてるような場所で

思い入れが最後には天高く積まれてる状態。


そんな、悲喜こもごものつまった

ありがたくも親子共々楽しかった幼稚園生活が

ここで幕引き!と突然言われた時の

ガッカリ度ときたらとんでもなかったです。


子供本人は

「えー!!

 じゃあお遊戯会は?」と。


「それは明日やるって。

 でもそれで終わりだって。」


「えーー!

 じゃあバナナは?!」


「バナナ?」


「おやつにバナナ!最後のおやつ、バナナだったのに!バナナ!バナナ!

私のバナナ返せ!

バナナの件は!

バナナの件!!

しゅしょーのばかー!



…しゅしょうって、どこの?!

うわー!!!」


てなりまして。


こっちは、可愛い楽しい大好きな

幼稚園時代が、こんな形で終わるなんてと

不憫でならなくて泣いているのに。



バナナ。



おかげで、なんか冷静になれて

仕方ないか。いやなくないけど。

と、涙も引っ込んだ。



このバナナの恨み節、小一時間続きました。


この話を幼稚園友達たちにしたら

ウケる。と、言われまくったんだけと

ひとりだけ「うちも!」という人がいて

あー、いいなぁ、かわいいなぁ

2人もいたのか。

先生とのお別れよりバナナで泣くのが。

と、なんか、改めて、幼稚園児のしょうもなさに感動した次第です。


結局、最後のお遊戯会をギリギリで開催。


そのあとは卒園式あるかないか

不明なまま日々過ごし

ぎりぎりで開催も

歌も直前で禁止に。


なんだかなぁ、となったまま

卒園式終わって、泣くタイミングも無かった。


お遊戯会はこんなことになるなんて

という、悔し涙みたいな感じになってしまって

素直に成長と、自分頑張ったに涙出来ず…。


思ってたんとだいぶ違いました。


でもまあ

さらに時を経た現在

偉大なコメディアンがいなくなってしまったりして

びっくりするやら

がっかりするやら

これからもさらに

思ってたんと違う展開が待っているとしか思えない。


入学式も、もはや危うい。


ここは、そんな世代がいたんだー

と、将来言われたりして

じゃあその分、こんなお楽しみをお届け!

みたいなことが、きっとあるんでしょう、

と信じて

心を平らーにして過ごします。


あっちこっちのお友達たち、

ご自愛くださいよ。

2019年の山場を振り返っておく。

2020年になりました。

毎年、豊川稲荷でおみくじを引くのですが

まあ、当たると思えば当たっているような

そんなおみくじで、去年はなんと大吉でした。

久々の大吉。

なんだろ、とりあえずやったー!

みたいな一年を過ごす予定だったんですが

2019年もあとちょっとまでこぎつけた10月

私というか、我が家、いや、私最大の山場を迎えたのでした。


まず、事の始まりは10月入ってすぐに

じゅんが風邪を引きまして。

割と長引いたので、小児科連れていったら

「んー、わからんけど薄っすら、足に点々が二つくらいたるから、手足口病かもねえ」

と、言われたものの

ほんとにー?くらいの点々が二つしかなかったので

その時は信じず終了。


その後、きっちり一週間後、

今度はさなが高熱。

一週間後には運動会が迫っていて

しかも幼稚園最後の運動会だし

本人張り切ってるしで大汗かいてたら

数日後、足にものすごい数の点々…。

かゆいかもーと、本人。


手足口病やないかい。


もう素人目にも、きっちり、手足口病


そうかー、じゅんも手足口病だったのか。

でもとりあえず、運動会に間に合う感じで

2人の熱も下がり、回復して良かった、

と、思ってた、さなの解熱の2日後。


今度はまた、じゅんが発熱。

それも、まさかの40度越え。


3日寝たら治るかなあ

運動会間に合わねえよー間に合うのか!?

となりながら

鼻出てたので耳鼻科行ったら

とりあえず、インフルの検査しましょう、と。


まだ10月頭でっせ。

まさかまさか。

と、検査したら、今まで一回も出たことなかった

ビンゴの陽性…。


えっっ!

絶句した後、マスクしてない自分もこれはアウトなのでは、とか

いや、さなっぺもアウトやろ

とか、今うちに手伝いきてるおばばもヤバイんちゃうん、とか

もう頭がグルグルし

その間、看護婦さんが目まぐるしく、その辺を消毒し始め

同じ診察室にいた次の人が

そそくさと外へ出て行きました…。


まあこうなると、1週間はアウトなので

とりあえず薬飲んで大人しくしてて下さい、

と、先生。


あ、えーとですね、運動会がもうすぐ…


食い気味に、無理ですね、と言われる。


ですよね。わかってます。。

がっかりしてますけど。


そして、あの、私これ、移ってますかね?


食い気味に、その距離感は厳しいかもしれませんね、と言われる。


ですよね。アイアンダスタンドです。。

がっかりしてますけど。


そんなやり取りをいたしまして

これは私も薬飲むしかないと

いや、娘もおばばも飲むしかないと

全員分、薬を処方してもらいました。


今時のインフルの薬は

吸引式で

しかも、二回吸引したら後は治るのを待つのみという

画期的な薬になっていて

こりゃありがたい!となったんですが

吸引に落とし穴が。


4歳児、吸えない。


あんなにストロー使ってるくせに

吸えない。


具合悪いのもあって、話も聞いてない。


そんなこんなで、咥えては吹く、粉が散る

を、5回も繰り返し

吸えるまでに、5時間…。


家と薬局を5往復…。

(本当は薬局でやるのがいいらしいんだけど

 息子の、グッタリと

 ここでは無理ー!と泣くのと

 吸うスキルの問題で、

 家に戻らせてもらった)


薬局と病院がうちの目の前で良かった…。


最後に吸えた時は泣きそうでしたよ。

本人はまずいー!て泣いてたけど。

そんなまずくないし。

タミフルだったらどうなってたことやら。。


そこから、全く熱の下がらぬ4歳児。

41とか42もあったりして

うわぁ!と慌てて座薬入れるも

すぐまた41度。。


なんで10月の予防接種解禁と同時になるんだー。

だいたい、月初めは手足口病

接種できなかったっていう、このタイミングで。

キツイわー。


でもね、まだここまでは良かったんです。まだ。


この後、薬も吸えたし、帰るわね

と、やはり薬飲んだおばばが退散。


我々も寝るかとなってたら

息子が、うわー!ていうので見ましたら

ソファで嘔吐。

まあ、何も食べてないに等しかったので

大した量ではなかったのだけど

ここに来て?!となりつつ

とりあえず、私と2人部屋を隔離して就寝。


とはいかず

なぜか息の方に鼻水入った娘も布団で嘔吐。


そこでダンナにマジで早く帰ってこい!コール。


そして帰ってくるまでに、色々洗ってたら

また息子布団で嘔吐。


ここから、4時間おき嘔吐がスタート。

うなされてるから

バケツを顔の下にセットするも

なぜか、わざわざバケツの横にオエっとする。。


しかも、翌日、台風が直撃予報。


外は大雨。


洗濯機回しまくり。

乾燥機付きのドラム式で良かったと

心底思ったけども。


そんな中、ダンナは

ラグビー日本勝ったわーつって

プシュてなんか開けてて


おいこら!なんかあったら車の運転やで!

なにしてんねん!

と。


そしてなんとか夜が明けたものの

外はさらに台風モード。

とりあえず、もう一回小児科に行くものの

様子みて下さいとのこと。


じゃあこっから良くなるのかな

思うじゃないですか。


ならんのですよ。


その日は夕方から嘔吐が加速。

ついに2時間おきに嘔吐。

しかも布団に。

全然バケツにしてくれない。。


もう、外は今世紀最大の台風みたいのが

ギャンギャンやってるってのに

洗濯機と乾燥機の音で何も聞こえない…。


明け方4時過ぎ

3回目の小児救急に電話して

吐いてるのにどうも血が混ざってますと言ったら

もう、救急行っていいと思う言われまして

台風通過した気がするくらいで

ダンナとじゅんが救急に直行。


私はさなっぺがいるので行けず。

大丈夫かモヤモヤしてたら

「入院だって」と電話。


だよね。。

いや、私はこれで一安心なんですけど。

あぁ、やっと仮眠とれる。

となりました。


結局、じゅんは吐きすぎて

自家中毒になってたという。

いわゆる饑餓です。

このご時世、自宅で饑餓…。


普段から好き嫌いせずに食べさせておかねばならんということを

身をもって実感。。


朝6時、眠そうなさなっぺを起こし

自転車に乗せ病院へ。


小児病棟に子供は入れずなので

今度はダンナがさなっぺを連れてとんぼ返り。


点滴したら、グッタリのげっそりだった4歳児も、徐々に復活。


しかし、行くとこまでいってたので

退院は3日後以降でしょうとのこと。


これで安心して、上の子だけになってしまっあものの、運動会行ける、と思いつつ

慌てて運動会の準備や洗濯せねばで

ダンナとバトンタッチ。


と、半日したくらいでダンナから電話。


「もうダメかもしれない。」


え?は?なってたら

じゅんが喋れるようになり

帰りたいと騒いでいると。


看護婦さんも女医さんもいい人で綺麗で申し訳ないと。


いやいやいや!

それで出ちゃダメだってー!

言ってたのに

電話は切れて

退院してしまうという…。


結果、完治に少し時間かかり

私も運動会行くもののフラッフラだったりで

なんなんだ!!!

ダンナよ!!


となったのでした。


オレ、入院したことないからよくわかんないんだけど、

退院って元気になってからなの?

と。

当たり前じゃ!


まあ、何が言いたかったというと

子供の入院は、男に任せるな、2019。

大吉じゃなかったんかい、2019。

ということで。